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日本画 下村観山
下村観山は和歌山生まれの日本画家です。東洋画に対する特に深い解釈を以てして、57歳で没するまでに高貴とも言えるほどの美しい作品を遺しました。和歌山県に生まれた観山は、少年時代に家族と共に上京しました。そして東京にて狩野芳崖に師事、後に狩野の紹介で橋本雅邦に師事し、幼き頃から絵に対する意欲的な姿勢を持って学びます。明治22年に東京美術学校の開校を期に日本画科に入学、若いうちからすでに「観山」を名乗り、画家としての決意に満ちた姿勢を見せていました。やまと絵,琳派,宋元画的な手法を究めた観山の作風は、東洋画に関する深い造詣を窺わせ、初期の頃は古典的な技法や作風を継承したものでたが、徐々に自分なりの新解釈も取り入れ、装飾画的な構成を感じさせる非常に豊かなものへと変化して行きました。観山は近代の日本画家の中でも屈指と言われているその筆技を活かし、新たなスタイルを模索・確立することで成功を収めました。その画風は代表作の一つでもある「弱法師」にも見ることができ、古典的日本画のような奥ゆかしさを感じさせつつも装飾的で煌びやかな表現は圧巻と言えます。また彼は日本美術院の創設と再興において重要なポジションを担ったことでも知られます。東京美術学校の第二回生として卒業し同校の助教授として勤めていた観山ですが、同校校長の長岡倉天心が辞職させられた一連の騒動の際に同志たちと結託して辞職。後に天心、同志たちとともに日本美術院創立に参加し、主導的な役割まで果たしました。またその後、帝室技芸員を務めていた時代に帝国美術院会員に推薦されながらも辞退を決め、いわゆる「在野」貫いたという話も残っており、日本美術院創設とともに観山の自身の信念を貫く情熱的な一面を表すエピソードとなっています。自身の美術への力強い取り組みだけでなく、同志たちとの結託から日本画壇への熱い想いも見せた下村観山。日本美術史において彼の残した功績は、その画風のように奥ゆかしくも輝きを放つものでした。
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